ご挨拶
私は物心ついた時から絵を書くのとプラモデルを作るのが大好きでした。
細かい作業が大好きで、細かければ細かい程うれしくなり、
小学生4年生頃には、普通の戦車やロボットなどでは物足りなくなり、ピンセットを使った各地御城作りを、高学年にはボトルシップに夢中になりました。
そんな私を見て父親(当時、旋盤工)が、将来どんな仕事がしたいんだと聞き即座に「プラモデル屋さんに成りたい」と答えていたんです。
ですが、そんなに細かい事が好きなら金型工に成ったら良いと勧められました。
金型工というのが、どんな職業なのかはっきり解らないまま、工業高校への進学を目指し、
昭和50年には大阪市立都島工業高校機械科に入学し、卒業後は金型工場(今はありませんが(有)若林金型)に就職しました。
弱電関係の金型製作が主の会社で、割と精度の高い仕事が多かったと思ってます。
当時は図面読みから型組みまで出来て金型職人としては当たり前で、10年ぐらい働かないと1人前とは認められない時代でした。
でも6年程勤めた時分に、思い切って金型屋として独立しました。
自分なりに納期厳守・型費を下げられてもいつもどうりに手を抜かないというのをポリシーとして金型を作っていました。
ですが、40歳を過ぎた辺りに各メーカーさんが海外に生産基盤を移し出し、型費の見積もりをしても海外での見積もりと同等か、
それ以下での対応を求められ長年コツコツやってきた金型工のプライドがボロボロになりました・・・。
そんな折にドイツで行ったというレーザー溶接のサンプルをスリーエー産業の方から見せられ、
眼からウロコとはこういう事だと思うぐらい衝撃を受け、もっと前から、この技術があれば自身が作った金型の何十いや何百が作り変えずに助かっただろうと思いました。
細かい事が大好きな私にとって天職だと思い、長年携わってきた金型工から溶接工になろうと、
大阪市東成区で2003年8月に会社を立ち上げ大阪で初めてレーザー溶接屋として開業しました。
そこで、さまざまな材料を色々な条件で溶接し、フライス加工・研磨・放電加工硬度検査など自ら行い、
その中で使える条件を手探りで見つけては御客様の了解の元、実戦で磨いていきました。
他社の溶接屋さんと違う点は、元々金型工だった経験を生かし
どう溶接してあげたら仕上げが良いか?どうやってあげたら安く早く出来るだろう?
自分ならこういう風にやってもらえたら助かるというのが解る事です。
時には、色々なリスクを一緒になって考えて、溶接を止めておいた方が良いとアドバイスをする事もあります。
自信過剰だと思われるかもしれませんが、これは『我社でレーザー溶接は不可能です』というワークは、
どこの溶接屋さんにも不可能だと思っています。
ただ単に溶接するだけで無く、そこに型技術を生かした我社ならではの技術を持っています。
他社で断られたり、上手くいかなかった物をここならやってくれるのではと噂を聞かれわざわざ遠くから持って来られる御客様もたまにいらっしゃいます。
ですので、一度他社で断られたワークを駄目元で見せて下さい。
我社なら救える手立てを施せるかもしれません。
長々と書きましたが読んで頂く事で私共の気概を型職人の方なら感じて頂けるかと思い書かせて頂きました。
是非、最後の最後は頼ってみて下さい。決して無駄にはならないと思います。